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当航路は、宇和海の美しい風景と藤原純友などの歴史を感じる島めぐりの旅をお楽しみいただけると同時に、生活航路として人々の日々の営みや子供達の笑顔、盛んな漁業養殖の現場などにも接することが出来きると、お客様から喜んでいただいています。


宇和島市観光ガイドウェブサイト(宇和島市観光協会)


■日振島
 
Hiburijima Island

■日振島は宇和島市の西28kmにる人口約500人、面積4.00kuの島です。
東国の平将門に呼応して兵を挙げた藤原純友の本拠地としても有名な島です。喜路、明海、能登の3つの地区があり、海水浴場、キャンプ場があります。
また、磯釣りのメッカとしても全国的に知られています。

日崎海水浴場・
キャンプ場

大入(おおね)
キャンプ場

沖ノ島
(当航路外)

昭和51年放送
NHK大河ドラマ
「風と雲と虹と」
の記念碑

みなかわの井戸
藤原純友時代当時に
使用されていたとされる

藤原純友の砦跡
■藤原純友の伝説
この島は今からおよそ千年の昔には、天下を驚かせた純友反乱の舞台でした。もともと純友は朝廷から伊予に派遣された地方官として、ナンバー3のポストにありました。しかし、任期が終わっても京には帰らず、自ら海賊大将軍を名乗って、ときの中央政府と対峙しました。
純友は部下の裏切りで捕らえられ処刑されましたが、貴族中心の律令社会から武士中心の封建社会へ移行していく先鞭となりました。
いまでも地元の人はこの海賊大将軍の名を敬意を込めて「純友さま」と呼んでいます。
なお、同じ頃、関東で起こった平将門の反乱と共に歴史上これを「承平、天慶の乱」といいます。
 
霜村一郎著『知られざる宇和海 日振島 藤原純友財宝伝説の行方』創風社、2011年8月11日
 
私の地元、宇和島市にある日振島には古くから純友にまつわる伝説が伝えられている。その一つが純友は財宝を日振島に隠したという伝説だ。その財宝伝説とは、九十九の大壺に黄金がぎっしり詰められているといい、「金壺は七つに分けて七並べ、紫つつじのもとにこそあれ」と伝えられている。(本書「序文」より)
 
今にも消えてしまいそうなこの言い伝えは
何を意味するのだろうか
純友は、本当に財宝を隠したのだろうか
歴史をひもときその謎をおう

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■日振島の名の由来
日振の名は遠く神武天皇がご当世の昔、暗夜に早磯の瀬戸、今で言う豊予海峡を通過する際、航路を見失っていた時、遥か向こうに火の振るのを発見し、これを目当てに無事にこの島に着いたといわれ、その事から火を振る島ということで、火振島→日振島となったといわれています。
日振島の西側は断崖ですが東側の湾頭には喜路、明海、能登の三つの地区があります。
その昔、神功(じんぐう)皇后が、暴風雨にあい航路を見失い豊後水道からこの島の湾に辿り着きました。
その際、「帰り道」に寄った湾であるから「喜路」と名付け、
その後、喜路から漕ぎ出した船が、明け方に着いたことから、その湾を、「明け海」と書いて「明海」と名付けられました。
そして、いよいよ都に登る海路に、また一つの湾に入りました。これが「都に登る」という意味で「能登」と名付けられたと伝えられています。
■島内移動時間
能登 徒歩
←1時間45分→
明海 徒歩
←1時間20分→
喜路
日崎海水浴
キャンプ場
明海から徒歩5分 みなかわの井戸 明海から徒歩1分
大入キャンプ場 明海から徒歩35分 純友の砦跡 明海から徒歩10分
能登の海岸 能登から徒歩10分 早磯の瀬戸 喜路から30分

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■戸島 
Tojima Island

■戸島は宇和島の西20kmにある人口約500人、面積2.81kuの島です。
全島が足摺宇和海国立公園に含まれており、戦国武将でキリシタン大名でもあった「一条兼定」の墓所があることでも知られています。
■戦国武将「一条兼定」の眠る地。
キリシタン大名としても知られる一条兼定の墓所。1574年、四国制覇に意欲を燃やす土佐の長曾我部氏に敗れ、この島に隠れたが11年後に没し、龍集寺境内の墓に眠っています。
島の人々は今も「一条さま」、「宮様」と崇敬しています。
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■嘉島 
Kashima Island

■嘉島は宇和島の西20kmにある人口約200人、面積0.54kuの島です。
島の春日神社の縁起によると、勧請は景雲3年(769年)といわれています。
昔は「加島」と呼ばれていましたが戸数の増加に喜んで嘉島となったとされています。

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■九島 
Kushima Island

■九島は宇和島港の入口に位置する人口約1200人、面積3.35kuの島です。
蛤、百の浦、本九島の3地区があります。宇和島からは最短で320mしか離れていません。島名の由来は、宇和島市遊子から数えて9番目の島にあたるので名づけられたという説がありますが定かではありません。
箱崎沖にある小高島には平家の落人が潜んでいたといわれ、逃走資金を隠していたともいわれています。
二十四輩様、せんす踊りなども有名です。

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■遊子の段畑 

Yusu Danbata

■宇和島市三浦半島遊子の水ヶ浦にある段々畑です。
宇和島市遊子、水ヶ浦の段畑。入江が多く、海山が身近に迫るこの一帯に平地は殆どありません。そこで人々は急斜面の山肌を切開き、何段にも石を重ねて階段状の段畑を築きあげました。眼下に広がる宇和海と段畑の織りなす美しい景観が旅情を慰めます。
毎年4月には「だんだん祭り」が盛大に開かれます。

「日本農村百景」「宇和島24景」に選ばれており、今年平成15年3月には公募により「四国のみずべ八十八カ所」に選定されました。

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■宿泊情報 

Stay Information

■日振島、戸島の宿泊情報です。ご参考ください。

平成26年4月現在
名称 中田民宿 民宿片岡 磯乃家旅館 民宿日振島 島民宿
つわぶき
所在地 戸島
(本浦)
日振島
(能登)
日振島
(明海)
日振島
(喜路)
日振島
(能登)
電話番号 0895‐64‐0142 0895‐65‐0230 0895‐65‐0301 0895‐65‐0234 0895‐65‐0035
収容人員 15名
(要予約)
7名
(要予約)
8名
(要予約)
7〜8名
(要予約)
6名
(要予約)
1泊2食付き
料金
6,000円
※お昼の弁当可
500円
7,000円 7,000円 6,000円 6,000円
素宿料金 - - 4,000円 - -
条件付き
営業
- - - - 金・土・日
のみ営業
上記以外は要相談
部屋数 8畳 2
6畳 3
4畳半 1
10畳 1
8畳 1
6畳 2
8畳 1
6畳 1
6畳 2
4畳半 1
6畳 2
備考 盆・正月
休業します
盆・正月
休業します
盆・正月
休業します
盆・正月
休業します
盆・正月
休業します

その他電話番号 南レク日崎休憩所 0895‐65‐0235

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霜村一郎『日振島 藤原純友財宝伝説の行方』創風社、2011.8
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